2009年06月18日
水の神たちは、雨とともにやって来る
雨が嫌い、という方はいらっしゃるかもしれません。
時に、梅雨の時期は、ジメジメしていて、
生ものや生野菜やパンなどは、放っておくと、
すぐに、カビが生えて来てしまいます。
梅雨の時期の天候は不安定なので、
天気予報を見ながら、昼間晴れていても、
夕方から雨が降るなどというときには、
折り畳み傘を持参しつつ、
神社礼拝に周ることがあります。
基本的には、神社礼拝は、
晴れた日に周りたいので、雨が降るのが、
夕方以降なら、まぁ、いいかと想い、
晴れているうちに周るということがあります。
しかし、大雨が降ると分かっている日は、
なるべく避けていて、降っても小雨、弱雨なら、
ということで、礼拝に周るのですが、
天気予報に反して、突然、大雨が降ることがあります。
特に、このような時期には、幾たびもあります。
(いえ、Kagariは、決して雨男なつもりはないですけど…)
私は、東京23区内なら、
自転車で礼拝に周るのですが、
さすがに自転車で折り畳み傘では、
大雨が降ったときは、びしょ濡れです。
そんなときに、自転車を乗りながら、
いつも想うことは、
“あれ、何処の社のスイッチを押して来たがために、
この予想外の大雨が降って来たのかなぁ?”
“あそこの弁財天さんの社に立ち寄ったからかなぁ?”
“○○神社の末社の中に、
水の神を祀っていたからかな?”
などと、あれこれ、思考を巡らせてみます。
私は、びしょびしょに濡れて、
自転車を走らせながらも想うことは、
「恵みの雨が降って来た!」という想いです。
普通の方は、こんなとき、
びしょびしょに濡れてしまって、
嫌な想いをしてしまうのかもしれません。
しかし、あちこち、神社礼拝をして周った結果の、
その大雨なので、これは、
「恵みの雨」に違いないのです。
肉体を持たない彼ら彼女ら、
特に、水の神々という存在たちは、
肉体を持っている私たち人間の感覚が、
分からないということがあるでしょう。
彼ら彼女らが表す、喜びの表現というものは、
私たち人間の肉体的感覚を無視することがあります。
というよりも、そんなことはお構いなしであるかもしれません。
それよりも、彼ら彼女らの喜びの想いを、
ダイレクトに、魂にぶつけて来るという感覚です。
高次元のスピリチュアル・ガイドたちは、
「肉体を救うよりも、魂を救うほうを最優先させる」
ということを書いたことがありますが、
それはまさに、その通りであり、
彼ら彼女らとの交流とは、
魂同士の交流であるからです。
ですから、神社礼拝の最中に、もしくは、
その後に、雨が降って来たというのは、
彼ら彼女らの喜びの表現であることが多く、
“あなたを祝福していますよ、どうもありがとう!”
という想いが、多分に込められているはずです。
ここ1年近く、毎度のように想うことがあります。
家の中に居て、大雨が降って来たときには、
雨の中から、幾人、幾柱もの水の神たちの足音が、
ヒタヒタと忍び寄って来るのが、霊聴として、
聴こえて来ます。
そして、彼ら彼女らは、このように伝えて来るのです。
“あのときは、礼拝に来てくれてありがとうね…”
“今度、○○の場所にも来てね…”
“わたしたちのところにも…、ね…”
(いえ、Kagariは、決して、
怖いお話をしているつもりはないですけど…)
“このひとときと
この瞬間をつかまえていたい”
倉木麻衣 さんが唄う 『Beautiful』 のPVです。
posted by Kagari ∞ Kazuki at 23:55| メッセージ
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